森のようちえん大好き自然派の私が、子どもにデジタル機器を無制限解禁した話
こんにちは。森のようちえんが大好きな私は、自然派育児ママということです。
自然の中で、自然と戯れる子どもの姿って素敵よね、ゲームやパソコンではなく石や木とかの自然物で遊ぶと創造性が膨らむよね!という思想を持っているということです。
しかし、そんな母のもとに生まれてきた長男は、全く自然派ではなく、泥遊びなんてまっぴら、公園に行くのも嫌々で、音のなりまくる変身ベルトを着けて、家でyoutubeを見て遊んでいたい男の子でした。
私は悩みました。外で遊んだ方が良いに決まっている。外遊びによる発達促進の効果は科学的な研究によって証明されている。私は子どものために外遊びを推奨するんだ!という私の思いとは裏腹に、長男を嫌々ながら外に連れ出すのは難儀で、私も疲れ果てました。
長男嫌がる。私疲れる。いいとこなしでした。外遊びを続ける生活を2年続けた後、私はやっと方向転換することにしました。
<過去記事>
我々がすることと同じくらい、我々がしないことを私は誇りに思う。 - 森のようちえん きらめき
やりたいことをやりたいだけやると、ハッピーになる
3か月ほど前から、彼の好きなようにさせることにしました。好きなことを好きなだけするという生活をスタートしました。初めは本当にイライラしました。
長男は朝起きて、朝ごはんも食べずにyoutubeを見始める。2時間たってもずっと見ている。いつまで見てるんや!とは言わずに口を閉じるのは非常に難しく、イライラするものでした。どう考えても私の我慢修行でした。
しかし、しばらくするとyoutubeをぱっと見終わり、朝ごはん食べると言い出し、自分で冷蔵庫を開けてヨーグルトを出して食べ始めました。驚きました。
長男はご飯もあまり食べないので食べるように言うのは疲れます。でも、自分から食べると言い出したので私が何も言わなくてもパクパク食べていました。あれ?すごい。ご飯を食べて、またyoutubeを見ます。
そろそろ次男が家遊びに飽きてグズり始めます。その頃に、外にピクニックしに行こうよと声をかけると「いいよ」と快諾。
出かける用意を自分でしてさっさと出かけました。あれーなにこれーって感じでした。今まで行くで!早く行くで!と急かして急かして、やっと出発していたのに。
自分の好きなことを存分にしている長男のなんと素直なことか。しかも、次男にも優しい。「次男かわいいねー」などと言って頭をなでたりします。
好きなことを存分にしている彼にはストレスがなくてハッピーな気持ちなんです。だから、周りに当たり散らす必要もなく、いつもはぶつかる次男に対しても優しい気持ちで接することができたのかもしれません。
その生活に切り替えてから一週間後、長男は言いました。「さいきん、たのしいねー!!」嘘みたいな発言に私は大笑いしました。
私は今まで何をしていたんだろうか。
外で遊ぶことが大事だと決めつけて、朝から外に出ることを強要してお互いにイライラしてぶつかって。
彼が進んで出かけていないことに気付いていたのに、自分のポリシーを守ることを優先して、彼の気持ちを大事にしてあげられなかったことが情けなく、申し訳なくも感じました。
自分が安心したいがために、子どもをコントロールしない
これまでも森のようちえんでは、森という環境ではなく大人の接し方が大事と書いてきましたが、本当のところわかってなかったと最近思います。
<参考記事>
大切なのは、環境よりも大人の振る舞い方。93%が森林の町で実践する、子どもの力を引き出す”見守り保育”「森のようちえん まるたんぼう」 | greenz.jp
今まで私が思っていた環境とは「深い森の中ではなくて、公園という身近な野外でもOK」いう意味でした。
でも本当の環境とは日常、どの場面でもということです。
長男は森の中には行きたがりません。だから、森のようちえんには通いません。
でも、森のようちえんの素敵なところは自分で自分のしたいことを選び、決定し、行動できるということです。
自分が何をしたいのかわかっているというのは自然なことで、子どもは最初、自分のしたいことに素直です。
でも、今はみんなと同じようにしないとダメ、今はこれをするときだから、それはだめ。
そんなことを言われ続ける環境にいることで、いつの間にか周りの目を気にするように、どれがほめられる行動なのか伺うようになります。
そんな環境におかれ続けることで、いい大人になっても自分のしたいことがわからないという人がたくさんいます。それは楽しくありません。
私は長男に楽しく生きていって欲しいと思っています。
自分のしたいことをする。どんなときも自分にOKが出せる。
それがしなやかに生きることではないでしょうか。
そのように生きるには、
いつでも自分のことは自分で決めることができると知っていること。
自分はそのままで素晴らしい存在だと知っているという土台があればそれだけでいいと思います。
子どもが好きなことを存分にできるようにするのは、本当に骨が折れます。
彼の一番そばにいる私がどれだけ自分の意思を押し付けずに我慢できるか、私が自分との戦いです。
私は自然派な思考が強いので、家から一歩も出ずに画面にかじりつく長男の姿に危機感を覚えます。
でも、それをやめさせて外に連れ出すのは私が安心したいからなんです。
私は長男にyuotubeを見る時間を調節させて、外に連れ出して、きちんとやっていると周りの人間にアピールして、安心したいからなんです。
そこに子どもの意思はありません。
私は私が安心したいがために子どもをすぐにコントロールしたがります。外で遊んでいようが、youtubeを見ていようがどちらでも長男は長男で素晴らしい存在です。
すぐに「ちょっとくらい外で遊ばないと健康に悪いよ!」と言いたがる自分を戒めつつこの記事を書きました。子どもと一緒に暮らすということは、どれだけ子どもを一人の人間として扱うことができるかというチャレンジです。
君が一日中、画面にかじりついていようが、君が最高だと胸を張って言う母に私はなりたい。