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森のようちえん きらめき

大阪府和泉市で森のようちえんをつくろうとしたが、長男が拒否したため方針変更。 おうち森のようちえんを実践中

「ごめんね」の伝え方は決まっていない

こんにちは。今日は「ごめんね」についてお話しします。もうすぐ2歳の次男はまだまだ感情コントロールの修行中。かっとくるとすぐに手が出ます。公園の滑り台の階段を上っているとき、自分の後ろから上ってきたお友だちを突き飛ばします。おもちゃで遊べる施設に行けば、自分が使っているおもちゃに他の子が触ろうとすると、相手のほっぺたをわしづかみにして爪を立てます。できるだけ、手が出る前に止めるようにしていますが、一発目を止めることは難しいです。相手にケガをさせてしまうこともあります。親としては相手にケガをさせると本当に申し訳なく、私が相手に謝罪をし、次男に叩いてはいけないと注意します。そして最後に次男に「ごめんなさいは?」と言います。言葉もまだまだ発達途中の次男。「ごめんねー」と心にもない様子で、言えばいいんでしょといった感じで謝ります。形としては謝ったが、それでいいのか…といつも悩んでしまいます。「いや」と言って形としても謝らないこともあります。

 

心にもない「ごめんなさい」はいらない

言葉だけで「ごめんね」を言わせる、言うように強要することに意味はあるのでしょうか。パターンとして、世の中では悪いことをしたら謝るんだよと教えることは、まず最初は必要かと思います。でも、その後、いつまでも心にもない謝罪をする癖をつけるのはどうかと思うんです。次男はもうすぐ2歳ですが、言葉もわかっていて「ごめんなさいは?」と促さなくても必要な場面で心を込めてその言葉を使うこともあります。一番近くで見ている親として、この子はもう「ごめんなさい」を言うか、言わないかの判断能力があると思います。だから、他の子に手をあげてしまった場面で「ごめんなさいは?」とこちらから声をかける必要はないのです。相手が叩かれて痛かったという事実、悲しかったという事実だけを改めて伝えることが大事であって「ごめんなさい」までを強要するのは親の先回りのしすぎです。


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「ごめんなさいは?」と次男に声をかけるのは、次男のためではなく、親の私自身の体面のためです。この子の親は、自分の子が人の子に手をあげたのに、ごめんなさいと言わせようともしない!なんて親だ!と思われるのが嫌だから、そのように声をかけてしまうんです。親の自分はちゃんと教育していますよというアピールです。自分が変な親だと思われるのが怖いから、子どもが自分で謝るか、謝らないかの判断をするのを待てないんです。

子どもは素直です。悪いと思えば謝ってくれます。でも、謝りなさい!と自分で考える時間を与えないまま強要すると、嫌々するか、しません。子どもが欲しいのは判断するための時間です。大人の流れる時間は早くて、とても子どもの判断時間を待てません。だから、すぐに「ごめんなさいは?」と言ってしまいます。大人はそこをぐっと耐えて待つと子どもの気持ちが見えてきます。もし、子どもが謝りたくないと判断したなら、それにはそれなりの理由があると思います。そしてそれを受け入れるのが親です。「ごめんなさい」と絶対に言わなければならない場面というのはありません。本人が決めることです。謝らないことで、相手から嫌われて遊んでもらえなくなったとしても、それは自分が決めたことで、自分が責任を負うことです。

 

人から「変な親」と思われる覚悟をもつ

親は体裁のためにすぐに口を出します。私のすぐに謝らせようとする行為こそ、子どもが大きくなって、心にもない謝罪をするくせをつけるのだと思います。「ごめんなさい」と伝える方法は言葉だけではありません。頭を撫でたり、抱きしめたり、ちゅーしたり、相手の好きなものをプレゼントしたりといろんな方法があるはずです。「ごめんなさいは?」と強要することで、子どもが考える時間を奪ってはいけません。何かあったとき、謝れば済むと思っているよりも、どうしたら相手に許してもらえるのか考える力がある方が本人のためなのではと思います。すぐに、口を出しすぎるこの口をいかに結んでいけるか、私も修行の日々です。そして他人の目をいかに気にせずに見守ることができるかがとても重要です。子どもから自分で考える力を奪わないためには、人から「変な親」だと思われる覚悟が必要なんです。


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