森のようちえん きらめき

大阪府和泉市で森のようちえんをつくろうとしたが、長男が拒否したため方針変更。 おうち森のようちえんを実践中

あなたと私は違っているだけ。

ディズニー映画「ズートピア」を見ました。さまざまな動物が一つの場所で暮らしている様は見ているだけで楽しかったです。そこに出てくる超個性派のキャラクターにナマケモノがいます。ものすごーくゆっくりした動作で事務作業をこなす様子が面白いのですが、そのスロー加減に主人公のうさぎは待ちきれません。何度も何度も早くと言い、何度も同じ内容を指示します。その様子が、親が子を待ちきれずに何度も声掛けする様子に似ているなと思いました。

 

子どもの自然、私の自然

子どもには子どもの時間の流れがあります。そもそも時間という概念がありません。長男も次男も朝起きたら、好きなことを何時までではなく、気が済むまでしています。

youtubeを見たり、ゲームをしたり、ままごとをしたりと、毎日一緒のようですが、自分のしたいことをそのときに選んでしています。その自分の中に流れるタイミングのみで生きている姿はとても自然で、私は好きです。

 

子育ては理想と現実の間を行ったり来たりするなと毎日思います。子どもが自分の思いのままに過ごしている自然な姿をもっと見ていたいと思う気持ちも本当で、自分のことしか考えないんだから!とイラッとしてしまう気持ちも本当です。昨日は特に何も思わなかったその行為が、今日は腹が立つこともよくあります。

 

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私は完璧ではなく、揺れ幅があって、気持ち広くあるときもあれば、狭くてすぐに怒ってしまうときもあります。そうやって波打っているのが気持ちの常です。その波幅をできるだけ穏やかにしていたいなとは思っていますが、揺れる私も私です。それも私の自然です。子どもの自然の姿を快く思うように、私の自然も快く思ってあげたいです。自分にも、子どもにも白か黒かではなく、その間にあるグラデーションを大事に思えるようになりたいです。

Mr.Childrenの「Gift」という曲の中に「白と黒の間に無限の色が広がっている」という歌詞があります。その心持ちが好きです。

 

 

 間違っているのではない。あなたと私は違っているだけ。

私は森のようちえんが大好きで、子どもたちには外で元気に自然と戯れてもらいたいという願望があります。

 

【過去記事】

森のようちえん大好き自然派の私が、子どもにデジタル機器を無制限解禁した話 - 森のようちえん きらめき

 

でも長男は家の中でyoutubeなどのデジタルな遊びをしているのが大好きです。2年間の葛藤を経て、長男に外で遊ぶように促すことは減りましたが、実は今もデジタル機器に囲まれる長男の姿を完全には受け入れていません。長男はそれが好きなんだなとは知ってはいます。でも、画面ばっかり見てたら病気になるだろ!と突っ込みたい気持ちはいつも備えています。彼の好みを完全に受け入れて、理解する必要はないのだと思います。それをかたくなに阻むことをしなければいいのです。

 
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冒頭で話したズートピアの話も同じで、いろんな動物が一緒に暮らす街は理想的に思えますが、実は問題もあります。でも同じ色に染まる必要はなくて、互いの違いを認め合うことが必要だという内容になっています。

 

自分と相手の考えがぶつかるとき、相手が間違っているのではなく、私と相手は違っているのだと考えたいです。ナマケモノは超のんびり特性です。それを社会は知っていながら、己のペースで事務作業を行っていることを認めています。事務所には行列はできていますが、そんなものだと思っているのでしょう。ナマケモノの特性を変えようとするのではなく、そのまま働いている姿を見て、いいなーと思ったのです。

 


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私も長男を変えようとするのはやめました。デジタルな毎日にイラッとくることもあります。そんな自分がダメだなーと思うこともあります。でも、それを克服する必要もありません。私も長男もそのままでいいんです。それぞれが、そのままで毎日のんびり過ごしていきたいです。それこそナマケモノのように、ありのままに。