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森のようちえん きらめき

大阪府和泉市で森のようちえんをつくろうとしたが、長男が拒否したため方針変更。 おうち森のようちえんを実践中

子どもがどこで学ぶのか、それを決めるのは親じゃない

サドベリースクールをご存知でしょうか。

・子どもは自分に必要な力を自分で学ぶことが出来る
・大人は子どもの内なる力を信じている
・子どもは学びたいと動機を持った時、一番良く学ぶ
・時間割・テストなし
・異年齢ミックス
・子どもたちが大人と対等な一票を持ち、ミーティングを行う

引用:サドベリースクールってどんな学校? | よねすけブログ

 

私はこの学校の存在を知ったときに度肝を抜かれました。時間割がない、テストがない、自分で自分のしたいことが決められるなんて今までの学校の概念をぶっとばされました。

 

私は森のようちえんが好きで、なぜ森のようちえんが好きなのかというと「子どもの意思を尊重」する環境であるからでした。森のようちえんの魅力は自然と共にあることが注目されがちですが、子どもがしたいことを子どもが決めて、行動する自由が認められているところです。


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それは本来誰しもが持っている自由のはずですが、子どもは特に制限されがちです。子どもは生まれたときから、ああしなさい、こうしなさいと言われて育ち、大人の言うことを聞かなければならないが子どもに刷り込まれています。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、先生という存在に今日はこれをしましょう、あれをしましょうと与えられ続ける教育を当然のように受けてきました。サドベリースクールという存在を知って、最初は特異に感じたその教育ですが、わたしが重要視する「子どもの中の自然」のまま育っていくには最適な学校なのではないかと考えるようになりました。

 

まじめなことがコンプレック

わたしは学校というものに所属した間の期間は優等生といわれる部類でした。勉強はできる方でしたし、先生の言うこともよく聞いて、先生からの信頼も厚かったです。わたしは自分は優秀だと自信満々のまま学校を卒業して、社会人になり、そこで精神的につぶれました。

 

【過去記事】お前は生きてるだけで、最高だ! - 森のようちえん きらめき

 

今では私はまじめであったことがコンプレックスです。先生の言う通りに動くことができる。というのは命令に従うことができるということです。命令に従うことが得意だったので、自分で考えるということはしてきませんでした。

 

なぜ勉強するのか、なぜ学校に通うのか、そんな根本の部分を考えることなく、与えられた課題をこなしただけです。義務教育をまじめにこなしたところで、社会に出て困らないようになるのかといえば、そんなことはありません。

 


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義務教育というのは戦後時代の名残です。戦後は国を復興するためにたくさんの労働力が必要でした。命令に従順に働くロボットのような人材が、大量に必要な時代だったのです。学校教育はそのために導入された教育方法です。言われたようにできるようになりなさいと教える学校は刻々と変わっていく今の時代に、昔のまま変わらないでいます。

 

運動会はその名残の象徴です。隊列を組んで、行進して入場し、観客のために先生の言うとおりの演技をこなす。なんか怖くないですか。私は怖いです。

 

運動会は海外から見ると日本特有の文化で、団体行動のクオリティの高さが評価もされているのだそうです。和を大切にする日本は素晴らしいですが、運動会はやりたい人がやりたいようにやったらいいです。全員強制参加はおかしいです。やりたくない人もいます。今では何の疑問も持たずに先生のいうとおり、運動会のパフォーマンス練習をしていた自分に、大丈夫かと思います。自分の頭で考えているのかと疑問です。

 

学びの場はひとつではない

話がそれましたが、義務教育が悪いというわけではありません。私が問題視しているのは義務教育があまりに浸透しすぎて、他の選択肢が見えないようになっているという事実です。義務教育というのは、子どもは学校へ行かなければならないという、子どもへの義務ではありません。子どもには勉強できる環境を与える義務という親の義務です。

 

だから必ずしも地域の小学校に行かなければならないわけではありません。フリースクールや私立小学校、サドベリースクールや今ではホームスクールというのもあります。地域の小学校に通うことがさだめのように思っていますが、そうではありません。たくさんの選択肢から選ぶことができるのです。

 


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子どもにはそのことを真摯に伝えたいです。地域の小学校はもちろん、他にもたくさんの学校が存在することを理解した上で、自分の進路を決めてもらいたいです。子どもにそんな責任を負わすのはどうかと思う人は子どもをなめています。

 

子どもには自分で決める力があります。それをできないと思っているのは、あなたが子どもを信頼していないからです。そして、もし親が希望する学校に進まなかったときのことを怖がっています。

 

私は長男が公立の幼稚園にすすむことを実は快く思っていません。でも、長男が自分で言い出して、自分で決めたことですから、協力します。私は子どもの決定を尊重します。自分で決めて、行ってみて、それで何かが違うと思ったら、また考え直せばいいです。大事なのは子どもが自分で決めること、親は子どもの決定権を奪わないことです。子どもを心配するのは簡単です。子どもを信頼するのはとても勇気がいります。

 


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子どもと親は違う人間です。見える世界も、触覚も味覚も、考え方も感じ方も、好きも嫌いもすべてちがいます。それはあたり前のようで、あたり前に奪ってるものでもあります。私も修行中の身です。すぐに子どもを自分の思い通りに動かそうとしてしまいます。

 

寒い日に上着はきない!裸足であるく!と主張する長男次男の決定を受け入れることの難しさはハンパないです。風邪ひいたら大変なのママなんですけど!と思いますが、風邪をひいてしんどい思いをして責任をとるのも長男次男のわけです。上着きてよ!と言うと、ママなんかいもうるさい!と言われる始末です。ごめんなさい。

 

どのくらい寒いと上着が必要か、くつをはくのは何のためか学んでいる最中ですよね。子どもがどこでどう学ぶのか、それを決めるのは親じゃない。

 

決めるのはきみです。

 


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