森のようちえん きらめき

大阪府和泉市で森のようちえんをつくろうとしたが、長男が拒否したため方針変更。 おうち森のようちえんを実践中

長男、幼稚園に行って、すぐに卒業した話 その2

 

 

続きです。

 

みんなと同じに苦しんだ日

長男は幼稚園に行きたくないと言い始めてからずっと主張を変えませんでした。朝、幼稚園に行きたくないという長男に私は「じゃあ先生に、自分で、幼稚園やめますって言って」と言いました。

 

長男が自分で行くと言い出したことです。

自分でやめると言う責任があると思いました。

 


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しかし、長男は先生の顔を見ると言い出せず、先生に言われるまま、しぶしぶ朝の会に参加します。長男は「ママとバイバイはいや」だけはしっかりと主張するので私も付き添います。

 

実はこの付き添い大変でした。

 

2歳の次男も一緒だからです。教室で朝の会が始まれば教室内を次男が走りまわるわけにはいきません。動きたがる次男をなだめ、帰りたがる長男のぐずぐずに付き合うのはとても疲れるものでした。

 

最初は余裕のあった私ですが、付き添いの日々が続いてくるとストレスがたまってきます。

 

同じ教室内に私はいるのだから「他の子のように、プログラムに参加しておいでよ」という気持ちになってきます。「早くみんなの中に馴染めよ」と焦れてきてしまうのです。ママは長男が落ち着くようにここにいるのだから「みんなと遊んでこいよ」と思ってくるのです。

 

長男は自分の席に座らないし、先生が誘う遊びにも乗らないし、教室移動にもついていきません。先生や友だちが誘っても、長男はママにくっついてイヤだというだけです。

 

先生は私がいる手前、無理に長男を誘うことはしません。先生の配慮で、教室に入れてもらっている身として、私は肩身が狭くなってきます。

 

私は先生から発せられているように思う「空気を読んで」しまいます。ここにいる限りはここの流れに従おうよ的なやつです。長男は空気を読みません。私から離れず、グズグズいうばかりです。

 

「空気を読んで」みんなと遊べよと思う私の気持ちと、私の思うように行動しない長男にイライラしてきます。そんな私の気持ちを長男は敏感に察知します。

 

余計に私にベタベタして離れません。私は言います。

 

「帰りたいなら先生に自分で言ってきて!」

 

私は幼稚園にずっといたいわけではありませんでした。長男にもずっと幼稚園にとどまってもらいたいわけでもありませんでした。

 

帰りたいなら、自分で先生に言う。

この責任だけは果たしてもらいたかったのです。

 

私は早くこの同調圧力を感じる場所から帰りたいと思っていました。でも、長男が私から離れず、行動も起こさないので、ただプログラムの流れに乗るしかなく、身動きがとれずイライラです。

 

ただグズグズするのみの長男に「帰りたいなら、先生に言いに行き!」としまいには怒鳴ってしまいました。長男はやっと覚悟を決めて、先生に帰ると言いにいきます。

 

先生にもう少し遊ぼうよと説得されますが、そこは帰るを主張し続け、やっと帰ることになりました。

 

みんなが同じことをする中にいると、そのようにしなくてはいけないという刷り込みの中に私はいました。そして、それを子どもに押し付けようとしてしまうのです。そのことを痛感した日でした。

 

帰り道、「ママ怒ってごめんね」と長男に謝りました。

長男は「いいよ」と言ってくれました。

 

ここには慣れないという主張

 長男のグズグズは、私と同じで、同調圧力のある場所で息苦しさを感じていたのかもしれません。長男なりに、帰ると言い出せないプレッシャーを感じていたのでしょう。

 

先生の指示したルールのもとみんなで遊ぶことは、最初は窮屈ですが、慣れてしまえば楽しいものです。毎日幼稚園に通うことで、最初は感じていた窮屈だという感覚を鈍らせていくのではないでしょうか。

 

長男は先生のいうルールで遊ぶ中にある窮屈さに慣れることを拒否したのではないかなと思います。最初に持っている鋭敏な感覚のまま、鈍ることなく、それを主張した結果が、毎日の行きたくない。グズグズにつながったのではないかと思います。

 

大人たちは、幼稚園に登園して、先生の言う制限の中で遊ぶことをあたり前だと思っています。しかしそうではありません。誰かの指示下で遊ぶこと、それはあたり前ではありません。

 

でも子どもたちは先生の言う通りにしなければならない環境に、すぐに慣れます。幼稚園はそういう場所だからと知って、その場を楽しむように変化することができます。子どもの適応能力は高いですから。それに順応することはできることだと思います。

 

しかし、何かおかしい。

 

ここには自分の自由がないと長男は思ったのではないでしょうか。長男はまだ自分の気持ちを言葉に乗せて、すべてを説明することはできません。でも「体操がいやだ」「歌がいやだ」長男から出てきた言葉はどれも、みんなで何かすることが嫌だと聞こえました。

 

 長男はここは何か違うと、理屈ではなく感覚で悟ったのでしょう。

 

辞めると言った日

次の日、当然長男は幼稚園に行きたくないと言いました。私は言いました。

 

「じゃあ先生に、自分で、幼稚園やめますって言って」

 

自分で幼稚園に行くと言いだしたのは長男です。やめるという決断をする自由もあれば、それを先生に伝える責任も彼にあると思います。

 

その日、長男は自分で先生に言いました。

 

「幼稚園やめる」と。

 

先生はじゃあ今日はもうお休みして、また明日来ようかと話していましたが長男は「もう来ない」と言っていました。私は長男は責任を果たしたよなと思いました。昨日までは流されるままでしたが、自分の意思で辞めると伝えたのです。

 

私は先生に長男は本当にもう辞めるという気持ちで言っていると思いますと助け舟を出しました。先生は辞めるという選択肢を持っていないので、その旨が伝わらないと思ったからです。

 

私は先生にゴールデンウィーク明けまで休みますと伝えました。

 

帰り道、長男は言いました。

「ママとバイバイいややねん」

 

長男はそこだけは一度も譲りませんでした。

 

 

印象的な長男の言葉

幼稚園をやめると先生に伝えてから、次の休みに水族館に行きました。長男はイルカが好きで、イルカショーのスタジアムでイルカを見ていました。そのときの長男の言葉が印象的でした。

 

大きな水槽で泳ぎまわる楽し気なイルカたちを見ていて、長男はにやにや笑いながら言いました。

 

「先生がいないから、遊んでるんじゃない?」

 

私は聞きました。

 

「先生がいたら、遊んだらだめなの?」

「うん」

 

長男が先生に持つイメージは、行動を制限する人というものだということがはっきりと浮かび上がる言葉だと感じました。

 

 

 

 

つづく。

次は大人と長男と幼稚園について。