いやなことからは逃げろ
「ツレがうつになりまして」を見ました。
あらすじ結末はこちら完全なネタバレを含む内容ですので、ご注意くださいね。↓
映画「ツレがうつになりまして。」ネタバレあらすじ結末 | hmhm
映画の中でツレが「ぼくは何もできないー」と泣く場面が何度となくでてきます。その姿がだんだんと子どものように見えてくるのです。何もできなくなって、自分なんていてもいなくてもいいんだと考えて悲しい気持ちになってしまう場面が見てて辛かったです。
きちんとするな 、あそべ
わたしは仕事が精神的につらかったとき、マンションの3階に住んでいました。家の前の廊下に立って、下を見下ろして、今死んじゃってもいいんじゃないかと考えたことが一度だけあります。
わたしは仕事でお客さんに怒鳴られたり、クレームに対応するのが怖くて、ズル休みばかりしていました。今考えれば、自分を守るために適切な行動でした。
でも当時は仕事に行けない自分が情けなくて、恥ずかしくて、ツレのようにわたしは何もできないと思っていました。仕事をやめてからも、ひきずってしまって、わたしは何もできないと悩んでいました。
【過去記事】お前は生きてるだけで、最高だ! - 森のようちえん きらめき
そのとき、わたしの家族たちが、わたしが元気で生きているなら良いと教えてくれました。あたりまえのように与えられていたその感覚が、ときに見えなくなってしまいます。「きちんとできる」わたしでないと価値がないと思ってしまします。
そんなことありません。何もできなくてもいいです。生きているだけでおっけー。生きてるだけで丸儲けです。子育ても、家事も、仕事も、きちんとできなくておっけーです。
自分がきちんとしていると、こどもにもきちんとを強要してしまいます。生きて、元気で、今日もあそぶ。それをするのはこどもだけではありません。大人もみんな、生きて、元気で、今日もあそぶ。それが最高の一日です。
逆上がりできないくらいで死ぬな
大学在学時の就職活動中「いやなことからは逃げる」という名言をいった友だちがいました。その友だちは大学卒業時点で就職はせずに卒業していきました。そのころはなんて適当な奴だと思っていましたが、最近では彼のいっていたことがわたしにしっくりくるようになってきました。
日本人はいやなことを我慢してがんばることに美徳を見出す傾向があります。でもがまんして、がんばって、いやなことをやり遂げてなんになるでしょうか。あー終わったと思うだけです。そこに達成感などありません。やりたいことをやりとげる過程にある、おっくうなことはがんばればいいです。だってそれはやりたいことですから。
たとえば、逆上がり。小学校のころ練習した覚えがある人も多いのでないでしょうか。わたしは逆上がりができなくて、放課後に友だちと練習した思い出があります。そのとき、先に逆上がりができるようになった友だちが先に帰り、あとに残った逆上がりができない組のわたしと友だちで「わたしたちって生きてる価値ないね」「しんだほうがいいかもね」という会話を交わしたことを覚えています。
小学校3年生のときのことでした。もちろん本気で死ぬ気はないのですが「みんなができることをできないひとはしんだほうがいい」という発想が怖いです。みんなと同じことができない自分を恥じる気持ちがこの頃から顕著に根付いていますね。
逆上がりなんてできなくてもいい、わたしは本を読むのが好きだから。と堂々と主張すればいいだけです。逆上がりしたくない人は他のことしてていいよーという授業になればいいのにと今では思います。
「いやなことからは逃げる」名言です。逃げて、逃げて、逃げ続けて、いつかどうしても逃げたくないことに出会うはずです。そこまで逃げ続ければいいです。大事なのは自分を熱くする何かに出会うまで逃げ続ける「生き続ける」ことだけです。
先日飛行機に乗ったときに、すごく揺れたので死ぬかもと思いました。こどもたちが死んだらいやだと思いました。毎日、ついああしろ、こうしろ、どうして何回も言わせるんだとこどもにいってしまいます。でも、飛行機に乗ったあとは生きていてくれるだけでオールおっけーだわと思えます。飛行機バンザイ。
こどもには「生きているだけでおっけー」「いやなことからは逃げろ」と伝えていきます。
とりあえず、洗髪ぎらいの長男にいいます。
生きているだけでおっけーだ。
いやなことからは逃げろ。
でもそろそろ髪は洗え。
矛盾!