へたな絵を描くことが恥ずかしいと思っている大人たちへ、それは呪いですよ
子どもと生活していると絵を描く場面というのがあります。そのような場面で自分は絵が下手だから描きたくないという人をよくみかけます。どうして絵を描くことが嫌になってしまうのか疑問に思って、調べてみるとこの記事をみつけました。
【参考記事】
70%の人が絵を描くのが嫌いになってしまう5つの理由―もう一度好きになるには? | いつも空が見えるから
上記から引用
絵を描くことが嫌いになる5つの理由
1.上手、下手で評価される
2.他の人と比較される
3.親や先生に指図される
4.大人社会が写実画を要求する
5.自分の理想と違う
どれもこれも納得できる内容でした。とにかく、人の目を気にしだすと嫌になるということです。私も小さいときから絵を描くのは好きではありませんでした。絵を描くことからはじまり、図工の授業と、とにかくつくるということに対してコンプレックスがありました。
なぜかというと、それは他の人より良い成績をとることができなかったからです。私はテストで高い点数をとることは得意でした。しかし図工の成績では良い点数をとることができませんでした。だから自分は絵が、図工がへただから嫌いだと思っていました。
私が描いた絵↑
自分がつくるものは良い評価を得ることができないという経験をして、私は絵が嫌いだという刷り込みを行ってしまったのです。私は周りからの目をとても気にしてきました。失敗するのは恥ずかしいと、へたなことをするのは恥ずかしいと思ってきました。
好きなようにつくればいい
「下手なことをすると恥ずかしい、何でも上手にしなければならない」という私の思い込みをぶっこわしてくれたのは、障がいを持った子どもでした。
私は学生時代にガイドヘルパーをしていました。障がいをもった子どもたちといろんな場所に出かけて余暇を支援するという仕事です。あるとき、子どもと一緒に花瓶をつくるというワークショップにでかけました。
そこで指導する先生のもと、花瓶に粘土をくっつけていきます。私は一緒にいる子どもに上手につくらせてあげようと思って、ここにつけてはいけない。ここはこうした方がいいと細かく注意を出していました。
しかし、その子は私の注意など全く聞かずに、ご機嫌に好きなように作業をすすめていきました。私はいつしか注意をすることをやめて、その作業を見守っていました。できあがった作品はお世辞にも上手にできたとはいえない出来栄えでした。
でも楽しそうにその作業をするその子を見ていて「ああ、上手にしなくていいんだな」と、すとんと胸に落ちました。今まで私は何でも上手にしようとしすぎていたなと学びました。
人の目を気にせず、自分の思いのままできあがったその作品を、その子は大事に持ち帰りました。きっと帰ってお母さんに自慢したでしょう。好きにつくればいいと気づいて嬉しかったです。
失敗を恐れる気持ちは呪いです
私たちは失敗を極度に恐れます。失敗したら恥ずかしい、失敗したら笑われる、人から何か言われるのが怖い。そんなことにおびえて生活していることがここかしこにあります。
それは小さいころから、集団で生活するなかで身に染みついたものです。集団生活に属したときから、同じ制服をまとい、同じ道具を使い、同じ課題に取り組み、そのなかで優劣をたたき出すテスト、成績表に評価される生活を10年以上続けた人が大半でしょう。
そんな環境の中で「みんなと同じようにするように」と先生に指導され続けます。そりゃ身につきますよ。もう骨の髄まで染み込まされて、人と違うことをするのが怖くなります。これはもう呪いの域です。
子育てするようになると、親の興味は自分の子どもはみんなと同じようにきちんとできるかということに向きます。自分がそのように育てられたからです。
でも「なんでも上手にできなければならない」「失敗すると恥ずかしい」と感じる環境で過ごし、役に立ったことが何かあるでしょうか。ちぢこまるだけです。
上手にできなくてもいい、失敗してもいい、とにかくやってみることが大事だと知ることの方が生きる上で何倍も楽になります。
失敗するのが怖いから、人と違うことをするのが怖いから、今いる場所から動けない。新しいことを始めることができないという人もいるのではないでしょうか。そんな悩みを子どもたちにまで受け継ぐのはやめましょう。
84歳の祖母と2歳の次男
へたな絵を描いていきましょう。それを笑っていきましょう。へたな絵をかく大人を見て、失敗する大人を見て、子どもたちは大きくなっていきます。
失敗しても大丈夫、何なら何もしないことの方が恥だぐらいの勢いで生きていきましょう。失敗しまくるけど、絵もへただけど、笑って生きて、楽しそう。そんな大人をみて子どもたちは未来に希望を持っていくのではないでしょうか。
へたな絵を描いていきましょう。