森のようちえん きらめき

大阪府和泉市で森のようちえんをつくろうとしたが、長男が拒否したため方針変更。 おうち森のようちえんを実践中

お前は生きてるだけで、最高だ!

こんばんは。今日は私の昔のお話を通して、「君は生きているだけで最高」という話をします。私は幼稚園や学校生活のころ、先生のいうことは全て聞き、勉強もできて人当たりも良くて正しく優等生でした。どうして勉強するのか、どうして先生のいうことを聞くのか考えることもしませんでした。今では不思議に思えるほど、従順で盲目でした。優秀でまわりに褒められる自分が自慢でした。

できない自分が恥ずかしい

でも、そんな優等生だった私は社会人になって就職した仕事にどうしても馴染めませんでした。一緒に就職した同期は問題なく続けているのに、私はどうしても耐えられなかった。手を噛むという軽い自傷行為に及ぶほどストレスはひどくて、すぐに辞めてしまいました。私は学校生活の中で与えられた課題で、できないと思ったことは何一つありませんでした。私はなんでもできると思っていました。でも社会に出てすぐに精神的に潰れてしまったんです。次の仕事の内定を貰っても、どうしても行きたくなくて、断ってしまうことを繰り返していました。

みんなと同じように仕事をできないことが、辛くて惨めでとにかく恥ずかしかった思いを今でも覚えています。私はみんなと同じようにできない自分を受け入れられませんでした。みんな働いているのに、働いていない自分が不出来で、情けなくて、やっぱり恥ずかしかったんです。

 そのままでいいと教えてくれて、ありがとう

私は周りに恵まれていて、その状態を誰も責めることはなく受け入れてくれました。時間がたち、私は仕事を続けられなかったけど、私はダメではないと気づきます。私は今まで、私は勉強ができる、私はみんなに誉めてもらえる、私は何でも人より上手にできるという自信の上に立っていたのだと思います。でも、仕事を辞めてしまった私を誰も責めなかった。社会人になれば、1人で生活できるお金を稼いでくることが当たり前の世の中で、社会でお金を稼ぐことができなくても、何もできなくても、周りは変わらず私を愛してくれました。何ができるとか、何ができないとか関係なく、私という存在を丸ごと愛してもらえていたことを知りました。何かができるから自分に価値があると決めつけていたのは自分だけでした。何もできなくても、そこに生きているだけでOKなんです。生きてるだけで丸儲けは事実です。

みんなと同じようにできないと恥ずかしい。

みんなと同じようにできないと不出来。

みんなと同じようにできない自分はダメな子。

こんな風に自分の子どもには思わせたくありません。私は幼稚園、学校生活の間、みんなと同じようにするのが得意だったので何も感じませんでしたが、みんなと同じではないということが恥ずかしいと学校生活の中で刷り込まれていたように感じます。社会人になって初めて、この勘違いをしていることに気がつきました。だから、自分の子どもには勘違いをさせたくありません。何かができるから「良い子」なのではありません。みんなと同じようにできるから良い子というのは、大人の都合の良い子なだけです。みんなと同じように何もできなくても、みんなと同じではない君がそこにいるだけで最高だと子ども自身に知っていて欲しいんです。

やっぱり世間には、みんなと同じようにが溢れています。親がいくらみんなと同じでなくてもいいと伝えても、環境がそれを許さないことは多々あります。それでも個人を大切に大切にしてくれる場所がないかなと思っていました。森のようちえんは子どもの意思を尊重してくれる場所です。私の望む環境に一番近いと思って、森のようちえんが大好きになりました。残念ながら、私の子どもは森のようちえんには通いませんが。

〈過去記事〉我々がすることと同じくらい、我々がしないことを私は誇りに思う。 - 森のようちえん きらめき

私はみんなと同じようにできないとダメ、社会でお金を稼げるようにならないとダメ人間だという勘違いに打ち勝つべく、長男に、次男に、夫に、家族に、友だちに、そして自分自身に「お前は生きてるだけで最高だ!」と伝え続けていきます。
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何かあればヘルプください。くれたら、むしろありがとう!

私に「お前は最高だ!」と言って欲しいときがありましたら、遠慮なく連絡ください。先日、私と話がしたいとおっしゃってくれた方がいらっしゃいました。ヘルプ頂きましたー!ありがとうございます!

miraimikiki0201@gmail.com

NOということで自分を知って、自分をつくる

こんばんは。次男はもうすぐ2歳です。すぐにイヤイヤ言います。今日は「なぜ子どもは意思を持ち始めると最初にイヤイヤというのか」というお話をします。これは科学的なお話ではなく、私の感覚的なお話なのでご了承ください。結論からいうと物事に対して、イヤと、NOということは自分を形づくる中でとても大切な部分だからだと思います。

人から言われたことを何でも言う通りにする子どもがいます。聞き分けの良い子だな、優秀だなと思ってしまいがちです。でも何でも人の言う通りにするようになると、自分で考えなくなります。自分で考えなくなると、今自分が何をしたいのかわからなくなってしまいます。何が好きなのか、何が大切なのかわからなくなってしまう。自分がわからなくなってしまうんです。そうすると自分の意思のない人形、無気力な状態になってしまいかねません。自分の中の譲れない部分が何かを知るために、守るために、イヤという練習から始まるんじゃないかなと最近考えています。今、自分が何がしたいのか自分でわかっていて、それをできる状況にあるというのはとても満たされた状態です。
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満たされてる

例えば、今 食べたいものは何だろうと考えます。しっかりとゆっくり自分と話し合います。野菜だと思い当たる。野菜を調理して美味しく食べる。ああ、自分はこれが欲しかったんだ!と体に染み渡るのを感じる。何とも言えない充足感を味わいます。最高の気分です。自分の欲求を正確に理解して、そのように行動する。簡単なようで、大人にはなかなか難しいスキルです。

子どもはそれがとても得意です。したいことに忠実で、しかもすぐに行動する。彼らは最高です。そのまま大人になれたなら、最高に楽しい気持ちで生きていけます。 自分に正直に楽しそうに生きている大人は、やはりどこか子どもな部分をうまく持ち合わせている人です。そして、 それがそのまま人としての魅力なんです。魅力的な人物はNOが言えます。

だから、NOを口にすることは大切なことです。NOと言い、それを受け入れてくれる環境こそが子どもが自ら育つのを助けるのではないかと思います。

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ヘルプください!

今日はきらめき今年最後の活動でした。みかんと温かいお茶で、みんなでまったりお茶会をしました。ティータイムとかお茶会とかそういう余白を楽しんでますよという優雅な言葉のニュアンスが好きです。きらめきの活動は私の思い付きでできていて、昨日ふとお茶会がしたいと思い立ち、持ち物の用意の連絡を前日にLINEしたりしてみなさんを困らせることも多々あります。ですが、そんなきらめきの活動にめげずに参加してくれているみなさん、いつも本当にありがとうございます。私はきらめきに来て下さるみなさんのことが大好きです。来年も良ければ私の遊びに付き合ってください!
先日、人を頼って、助けられて、また次は自分が他の人を助けてあげる。それって素敵。むしろヘルプくれたら嬉しい!という文面を書きました。

<過去記事>「しなければならない」に負けない - 森のようちえん きらめき

本日、ヘルプいただきました!ありがとう!本当にありがとう!きらめきの活動場所まで車で乗せて行って欲しいとお願いされました。すごく嬉しかったです。諸事情あり、ぎりぎりな感じでしたが、何とか任務は遂行できました。ヘルプもらえると、自分のこと信頼してくれているんだなと感じることができます。頼ってもらえると迷惑より、むしろ嬉しい。私は嫌ならNOを言うことができます。そんな人間もいるということを覚えていてもらえると嬉しいです。何か困ったことがあったときの、ヘルプ先の選択肢のひとつになりたいといつも思っています。ついでに買い物してきてください、2時間程度の子ども見守り、私の家に遊びに来たい、お話し相手など私にヘルプ頼んでやってもいいという方はお気軽にご連絡ください。ヘルプください。

miraimikiki0201@gmail.com

親子でピクニック会 【告知】

〈親子でピクニック会〉

【日時】2016年12月6日(火) 10時~12時半

       12月13日(火) 10時~12時半

       雨天中止

【集合場所 】大阪府和泉市 黒鳥公園駐車場前

【定員】親子8組

【参加費】無料

【持ち物】水筒、お弁当、レジャーシート

【スケジュール】

10時   朝の会(点呼、絵本読み聞かせ)

     山頂の遊具を目指して出発

     遊具を拠点に各自自由に散策

     お弁当もお好きなタイミングで

12時半  終わりの会(絵本読み聞かせ)

     解散 

当日は動きやすい服装でお越しください。お子さんが疲れてきたら様子をみて途中で帰るのもOKです。(注意*主催者である私も2児の母です。子どもたちが体調不良の場合は突然お休みさせて頂く場合がありますのでご了承下さい)

 

最近参加したいとおっしゃってくれる方が増えてきて、嬉しいです。定員は親子8組なので、お断りさせて頂くことがあります。ご了承下さい。 もし、ご参加頂ける方がいらっしゃいましたら、下記お問い合わせフォームからご連絡ください。

  ↓

【お問い合わせ】ここをクリック!

保護者のお名前とメールアドレス

参加されるお子さんのお名前と年齢をご記入下さい。

折り返し、東(あずま)よりご連絡致します!

 

 

子どもって小さな楽しみを100万個並べたような世界に生きている

こんにちは。今日は「豊かさ」について思うことを書きます。私が森のようちえんを好きになったひとつの魅力に、じっくりと流れる時間の存在があります。何か特別に設定した保育をするわけでもなく、子どもがしたいようにすることを見守る。子どもの流れる時間って大人の私とはまるっきり違うんですよね。むしろ子どもには時間が存在しないと言った方が近いと感じます。そんな子どもの存在をまるまる受け入れていこうとしている森のようちえんを好きになりました。自然とともにある子どもの姿、それを見守る大人の姿を「豊か」だなと感じたんです。

森のようちえんを好きになって、オルタナティブ教育やスローライフミニマリスト、オーガニック食品などなど自然派な方向でいろいろと調べました。それらを夢中になって調べていたときは特に何を求めていたのかわかっていませんでしたが、今になって、私は「豊かさ」とは何か。みたいなものを探していたような気がします。自然に寄り添うことに豊かさを見出そうとしていたんです。でも、長男があまり自然に寄り添おうとないので、別の方向を模索していくことになりました。まあ、自然にこだわることだけが、豊かなわけではないと納得せざるを得ないわけです。

自分の好きなことを100個考える、実行する、超楽しい

たくさんの事柄を調べて、知って、考えて、結局結論は豊かさだってみんな違うということでした。食事はオーガニックじゃないと豊かじゃないという人もいれば、ジャンクフードのない生活はストレスの塊だという人もいる。モノをたくさんもつことを豊かじゃないという人もいて、モノを集めるのが生きがいという人もいる。だから結局、誰かの豊かさを知っても無駄だということがわかりました。

自分の中に豊かさの基準を持って、それを満たすように、いつも自分がご機嫌でいられるように生きる。自分がどうすれば、いつもご機嫌でいられるのかを知っていることが豊かさへの第一歩かなと思います。

私はお弁当が好きなので毎日お弁当を作っています。お弁当を包むバンダナは私の長年のお気に入りの品で、そのお気に入りのバンダナでお弁当をきゅっと包むその瞬間が好きです。卵焼きを作る工程もひとつひとつ好きです。卵を割って、菜箸でカチャカチャかき混ぜる感触、フライパンに注いだ瞬間にジューという音も好き。出来上がった卵焼きを包丁で切って、その断面を見るのが好きです。温かい飲み物を飲むのが好きで、新しい本を開くその瞬間の紙の手触りも好き。この書くという作業も好きで、言葉を選んでつなげるという作業も大好き。生活の一つひとつをていねいにふりかえると好きなことがたくさん散らばっていることに気づけます。


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あと、マイルールとして自分の好きなことのなかには人を利用しないことというのがあります。子どもが笑っていてくれるのが好きという方は割とたくさんいると思います。私もそのうちで、子どもが笑っていてくれたら大概のことはどうでもいいです。子どもの笑顔のためにいろんなことをがんばってしまいます。でも、それって子どもにとってはどうなのかとも思うんです。例えば、子どもたちのためにと時間をかけて凝った料理を作る。でも結局子どもはあまり食べなくて、作ったご飯ではなくアイスが食べたいと言い出す。というイライラしてしまう状況。「子どものため」あるあるですね。これは一見子どもの笑顔を見るのが好きでがんばっているようですが、子どもはそれを望んでいません。

「~のため」というのは聞こえはいいですが、相手が自分の望んだ反応をしてくれなければガッカリしてしまうという残念な状況です。それよりも、自分自身が食べたい料理を楽しんで作って、それだけですでに自分の中では大満足。子どもの前でおいしそうに食べていれば、そのうち子どもも一口ちょうだいと言ってきたりするんです。「~のため」となってしまうと、見返りを期待してしまいます。だから自分の好きなことの中に「~が○○するのが好き」とか相手のことは入れない。

まず自分のご機嫌をとる

まず自分をハッピーな状態に常においておくように努力する。そうすると、自分がハッピー、機嫌のいい自分を見て、子どももハッピーなんです。日常生活の中の小さな好きをたくさん見つけて、それを毎日ていねいに重ねていくことが豊かさなのではないかなと私は最近思っています。

私の推測ですが、長男の好きなことはゲームの電源を自分で入れる瞬間、アメを食べること、次男と奇声をあげながら裸足で走りまわること、ママに抱っこされながら眠ること。次男の好きなことは、ママのおっぱいを吸いながらママにくっつくこと、iPadの電源を入れて画面が光った瞬間を誰かに報告すること、お料理の真似をすること、お医者さんごっこをすること、アイスを自分で出してくること。

子どもたちのニコニコする様子を思い浮かべながら並べて書いていて、なんか泣きたくなりました。子どもって小さな楽しみを100万個並べたような世界に生きてます。そんな小さな楽しみを大人が奪わないように日々生活していけたら、それはその子にとって豊かな暮らしではないでしょうか。


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「しなければならない」に負けない

こんにちは。今日は大人が森のようちえんをしてもいいんじゃないかというお話です。森のようちえんでは、毎日決まったプログラムを行うことはほとんどなく、お散歩がメインの活動です。自分の中にある自然に従い、自然の中でしたいように過ごす。そこは何をしてもいいし、何もしなくてもいい。そんな場所です。自分の決定が尊重されるそんな場所であることが森のようちえんの魅力のひとつです。大人は忙しさに追われるような毎日の中で暮らしています。だから子どものころだけでも、こんなのんびりとしてゆとりのある生活をさせてあげたいと考えていました。

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。それは大人も同じ

でも、最近考えるようになりました。何をしてもいいし、別に何もしなくてもいい。そんな場所は本当に森のようちえんだけなのかと考えるようになりました。大人は仕事にいかなければならない。家事をしなければならない。一人で何でもしなければならない。と、様々な「しなければならない」に縛られているように感じます。しかし、縛られているように感じますが、それはすべて自分の選択なんです。

仕事に行くのも、家事をするのも、子どもの世話をするのも全部自分の選択です。仕事は行きたくなければ休めばいい。誰に文句を言われようが休めばいいんですよ。人に迷惑がかかるから、とか周りの目がとかいろんな理由はあるでしょうが、最終的に自分が決定してるんです。

子どもの食事をつくりたくなければ、レンジでチンでも、ピザ宅配でも、白いご飯にのりだけでも、お菓子だけの日があったっていいんですよ。それはダメでしょと思うかもしれませんが、私が言いたいのは、見逃しがちですがその選択肢は確かに存在するということです。

私は基本真面目ですから「しなければならない」の圧力にたびたび屈しそうになります。子育てするなら、子どもはお風呂に毎日はいらなければならないや、野菜を食べなければならないや、夜は早く寝なければならないなどなど。でもそれって楽しくないし、窮屈になって、無理が出てくるんです。だから、それを自分が「やりたい」のか、「やらなければならない」に縛られているのかどうか、しっかり自分と向き合うようにしています。

そうしていると楽しいことが増えていって、毎日良い気分です。自分のしたいことをしたいようにする場所は森のようちえんの中だけではないし、子どもだけに許されたことでもありません。大人も好きなようにすると毎日楽しくて、子どもも楽しそうな大人を 見て、嬉しくなります。

 

 「人に迷惑をかけてはいけない」に負けない

特に子育ては情報に溢れていて「しなければならない」の嵐です。あいさつできなければならない、片付けができなければならない、集団行動できなければならない。こわいこわい。あと、「一人で何でもできるようにならなければならない」母親はこれにはかなり縛られています。

母親は頭痛がしても動けないほどではないから自分が頑張って動く。どうしようもなくなるまでは自分で頑張らなければならない。おかしい!倒れるほどしんどくなくても、今辛いと感じているなら助けを求めたらいいんですよ。両親が頼れないなら、 一時保育でもベビーシッターでも、近所の友だちでも誰でもヘルプを出せばいいんですよ。その助けての合図を迷惑がるほど、 人は冷たくないと思います。私は迷惑とは思いません。むしろ、ヘルプくれてありがとう!! ってなる。でもみんな固い。誰もヘルプくれない。ヘルプください。全力で助けます。

子どもにもそうです。母親は自分が頑張っているから、子どもにもがんばれといいがちです。何でも1人でできないと困るよと言ってしまいがち。君が将来困らないように言ってあげているんだよのスタンス。でも私は上手に人を頼るスキルの方がこれからは必要だと思います。辛いとき、ためらいなくヘルプを出すスキル。人を頼る、頼ってもいいという経験がある方が人生に幅が出るし、楽しいと思うんですよね。

人を頼って、助けられて、また次は自分が他の人を助けてあげる。それって素敵だと思います。好きなことを楽しくやって、辛いときは人を頼って。嫌なことにはイヤと言う。そんなシンプルな生き方が大人の森のようちえんかなと思います。大人の森のようちえんは気持ち次第で今から始められそうです。 

 長男がすんなり森のようちえんに馴染んでいたら、そんなことを考えることもしなかったかもしれません。長男は私にいろいろな視点を与えてくれます。ありがとう長男。

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某アリオでノリノリの長男。寒いから室内でしか遊ばない。アリオでは基本裸足。

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朝からお菓子食べる次男。この前にアイスも食べてる。同じく、アリオでは基本裸足。

 

このおもちゃが子どものためにいいかどうか、それを決めるのは親じゃない

こんにちは。森のようちえんが大好きなのに、どんどん引きこもりの東です。今日は「旬」について思うことを書きます。森のようちえんでは、自然を感じながらともに過ごすことが大事にされています。そのため、四季移ろう食材を取り入れた食育に力をいれているところも多いです。お母さんが調理した旬の食べ物を、自然の中で、仲間と一緒に味わう。その体験は子どもの原体験として、宝物になると思います。「食育は記憶には残らなくても、舌には残るよ」と教えてくれたお母さんがいました。良い言葉ですよね。そんな旬のものを味わうということを、我が家の長男風に置き換えるとこうなります。

 

旬=マイブーム

旬というのは、食べ物だけではなく自分の中の流行り、いわゆるマイブームともとれます。長男の旬(マイブーム)はずばりゲームです。 従姉妹と遊んでいるときに貸してもらったゲームにハマって、家でそのゲームのYouTube動画を腐るほど見ていました。「おれ、ゲームだいすきやねん」と言いながら。ちょっとだけ触らせてもらったゲームの楽しさが忘れられず、youtubeでひたすら興味を磨いている姿を見ていると柄にもなく買ってあげたくなりました。そして、夫と相談した結果買いました。3万円のwiiUセットを。


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以前の私なら、絶対に買いませんでした。やはり自然派の私は子どもからゲームはできる限り遠ざけたいと思っていました。ゲームは遠ざけたいと思っている時点で、外で遊んでいたら健康的で、家の中でゲームをしていたら不健康という偏った考え方が自分に染みついています。そんな自分の固定観念に気づくたびに情けなく感じます。遊びに優劣はありません。積み木で遊ぼうが、砂場で遊ぼうが、ゲームをしようがただの遊びです。おままごとより、ブロック遊びが良い遊びかというと、そんなことないんです。

外遊び推奨の考えから方向転換した今年の夏に決めました。子どもがやりたいことをやるべきだと考えを改めたんです。好きなことを存分に突き詰めてほしい。電車が好きなら、実物の電車に乗せてあげたり、新幹線を見に行ったり、プラレールを買ったりと、そんな親の手助けがあるとますます電車が好きになります。好きなものをもっともっと好きになるように環境を整え、これが好きならこんなのもあるよと情報を提示する。機会を与える、興味を広げる手伝いをすることが親ができる一番の仕事だと思います。

遊びにも旬があって、時期のズレたおもちゃは価値が減るような気がします。好きな遊びの旬に手に入れたおもちゃは 100%愛しつくされますが、時期がズレると愛されはするけど80%しか愛されない。そんな感覚です。 今回購入したこのゲーム、今が旬だと感じたので、クリスマスまで待たせることをせず、すぐに購入しました。長男に100%愛されてます。5時間くらいぶっ続けでやるくらいです。長男の集中力はすごいです。ちなみに 私より余裕で上手くて「好きこそものの上手なれ」は完璧に本当です。

「おれスプラトゥーン(ゲームの名前)だいすきやねんなー」と1日に何回も言ってきてくれます。 画面に向かって大声で笑うことも多々あります。「ママ見てーおれがかったで!」と喜びを教えてくれます。そんないきいきした姿を見ていると私は素直に嬉しいです。私が望んだ自然の中ではありませんが、それが外であろうが家の中であろうが、些細なことだと感じるようになってきました。

食べ物の旬を味わい尽くすのは体の自然です。きっと自分の中の「旬」を味わい尽くすことも、心にとっては自然なことなんだと気づかされました。

 

主婦は学生さんとお話しするとテンション上がる

こんにちは。今日は和泉市のお隣、泉大津市とはいえ和泉府中駅の近くにある大阪健康ほいく専門学校での活動をご紹介します。そこで子育て支援の授業一環として、学生主体の「すこやかセンター」というものが開催されているそうです。

【すこやかセンター 詳細】
日時:毎週水曜日(祝日除く)
   10:00~14:00
場所:大阪健康ほいく専門学校【体育館】
   ルミエール
費用:無料
備考:お弁当を持参して、食べることもできます!子どもが遊べてお弁当食べていい場所って貴重です。駐車場の有無について聞きましたが、未定とのことで、車の方はお問い合わせ下さい。

お問い合わせ:0725-46-0294

 

すこやかセンター紹介ブログ ページ↓

 大阪健康ほいく専門学校|大健は、社会福祉の精神に基づき、幅広い教養や的確な専門知識・技能、礼節ある人材を養い、福祉の推進に貢献する次代を担う保育士と精神保健福祉士を養成します。

 

これから保育士を志す学生さんたちとお話しできる機会は貴重です。学生さんたちにとっても、私たち子育てをしている者にとっても互いに実のある時間になるのではないでしょうか。子どもたちは優しいお兄さんお姉さんと遊んでもらえる嬉しい機会です。都合が合えば参加してみると面白いと思います。私は来週12月14日は参加予定です。

学生さんたちに地域の中で力を発揮してもらえるとすごく嬉しいですよね。子育て支援なんて堅苦しい考え方ではなくて、子どもたちにとって近所のお兄さんお姉さんになってもらえたらそれだけで素敵です。今日公園で、その学生さんたちとお話しする機会があったんです。私の話もじっくり聞いて頂いて、子どもをもつお母さんたちと直接お話しする機会がないのでとても勉強になりますと爽やかにお相手してもらえました。学生さんたちに子育てのリアルを知ってもらえるのは嬉しいです。

すこやかセンターのこれからの活動を応援してます!


大阪健康ほいく専門学校HP

http://fukushi996.ac.jp/hoiku/